★ 10月12日(土) 「有栖川幸仁親王」を勉強します ★

学習資料 ④ 武 将 2(豊臣秀頼、前田利常、池田光政 など)

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豊臣秀頼 肖像
100回 豊臣秀頼 八月二十八日付

豊臣秀頼(1593~1615) 八月廿八日付 若狭宛 
豊臣秀頼は元和元年(1615)大阪夏の陣で大阪城とともに滅びる、享年23歳。
秀頼の書は極めて珍しく、この消息は その書風をうかがい知る貴重なもの。まさにおおらかで堂々とした帝王のオーラを感じる。
『今日御あかりのよしうけ給候ま々御迎に永井主馬・・・・・』(今日御湯治からお帰りだと聞いて永井主馬を迎えに差し向けました、詳しいことはお目にかかったうえで。)
宛先の「若狭殿」は木下長嘯子(ねねの甥、その後歌人として活躍)と思われる。

豊臣秀吉(1532~98) 十月十七日 加藤孫六宛
賤ケ岳七本槍の一人 加藤喜明孫六に 天正十二(1584)年ころに書いた朱印状の書状。
大垣城の普請の様子を図面で確認したことを伝えている。この書状は自筆ではなく 祐筆が書いたものだが 桃山時代のスケールの大きさが感じ取られ 堂々とした雰囲気を持っている。
「書状披見候方々遣候返事幷大柿普請之様子見届候指圖上候得心候…」

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