学習資料 ② 公 家(定家、三藐院信尹 など)

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藤原定家(百人一首かるた)

111回 烏丸光廣 道庵老宛 八月九日付

烏丸光廣(1579~1638) 道庵老宛 八月九日付
寛永の三筆は 本阿弥光悦、近衛信尹、松花堂昭乗であるが、烏丸光廣はその別格とされている。
波多野幸彦先生は 自由闊達な光廣の書が 一番お好きで よく側に掛けて楽しんでおられた。
定型化された 室町の書風や その枠から解放されて、自由に生き生きと個性を発揮した書が桃山の書風、その代表が 光悦や 光廣といわれている。
「遠路賢息御見廻喜悦此事候先以貴老無何事目出度候・・・・」(はるばる遠いところをあなたの(道庵)ご子息がお見舞いに来ていただきうれしく思います、湯治をされ一段と良くなられて安心です、母上の50回忌の和歌はよく出来ています、、、、、、五十まてわすれす親のあととふハならいにこえし心とそしる)母の50回忌をするということに光廣が和歌を添えて返事をした 極めて書の出来がいい消息。

161回 近衛信尹 言上状

近衛信尹(1565~1614) 季陽仲一日付 言上状
近衛信尹は 摂関家筆頭 近衛家の当主。 また光悦、昭乗とともに 寛永の三筆に数えられる。
おおらかでたっぷりとしたその書風は のち三藐院流と称され 信尋、和久半左エ門などに受け継がれた。
この巻物は消息というより 心の内を訴えた 言上状。天正18年 信尹26歳の時のもの。大幅で長文、信尹書の最高傑作と言って過言ではない。
若いころ父近衛前久に連れられ 越後の上杉、美濃信長の元、さらには薩摩などにも赴いた信尹は、宮廷慣習に慣れず 公卿社会の中でも諍いが絶えず、当時はまだ左大臣であった。近衛家当主として関白職を嘱望していた折、豊臣秀吉が関白になるということを聞き この言上状を書いた。あて先は4人の公卿になっているが 当然 後陽成天皇を意識したものである。
信尹がこの言上状に込めた思いは並々ならず、下書きが 陽明文庫に現存する。その正書版がこの巻物である。
「令啓発題目嫩木之絲櫻今年花始開思李太白桃李園雅懐…」(庭の糸桜がちらほらと咲き出始めました 去る8日 李白の『春夜宴桃李園序』を思い 佳人を招き 心の内を話そうと思っていましたところ 皆所用があると来たのは3人でした……)

藤原定家

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